第9話 イエナプランは子ども学に基づくコンセプト(リーン・ファンデンヒューヴェル)

 学校というものは、もともと、どうすれば良い教育を提供できるだろうかと常に考えているものだ。それは、今に始まったことではなく、昔からそうだった。しかし、それにもかかわらず、どうすれば良い教育を与えられるかという方法の議論で、関係者たちの意見は、さまざまに異なり、得てして対立さえしてしまう。

 いわゆる「古典的な教育」では、従来から、そして今でも、相変わらず古い形式を使って教育を行っている。それは、子どもたちを列に並べて座らせ、同じ内容を全員に与えるというものだ。もちろん、子どもたちの中には、こういうやり方で十分に伸びていく子もいる。けれども一斉に提供される教育は、ある子にとってはやさしすぎ、ある子にとっては難しすぎるという問題が生じる。子どもたちは、教員から提供される教育に無理やり合わせて座るしかない。こうした教育では子どもではなく、教育そのものが教室で真ん中にどんと座っている。

 こうした形式の教育には、すでにかなり昔から抵抗してきた人たちがいる。こうした人たちのほとんどは、「子ども学」の見地に立って思考しており、彼らは「教育というものを従来の一斉画一授業ではなく、一人ひとりの子どもの発達に沿って行うように見直し、組織し直すべき」と意見を述べてきた。子ども一人ひとりが、それぞれの瞬間に何を求めているかをよく見なければならないという考え方だ。

 ペーター・ペーターセンは、まさしく、この問いに答えを見つけ出そうとしてイエナプラン教育を創始し、開発してきた。イエナプランは、子どもと子どもたちの発達そのものを中心に据えた教育モデルに他ならない。

 このように言えば、大変聞こえが良いことは間違いないが、さて、実際に行うとなると、いろいろな困難に出合うものだ。なぜなら、画一一斉授業のように、ずっと先を見通して計画を立てることは困難になるし、たくさんのことを、瞬時に判断して対応しなければならないからだ。

 30人もの生徒がいるグループの担任教員にとって、一人ひとりの子どもを観察し、瞬時に対応を決めていくのはとても容易なことではない。しかし、すべての子どもが自らのために学習し、自分を大切にする権利を持っているのだ、という基本的な考えに立つのであれば、なんとしても、こうしたやり方をうまくできる方法を探す以外にはないのだ。

 幸いなことに一人の教師が、何もかも自分だけで探求する必要はない。世の中にはすでに多くの経験や知識が蓄積されているからだ。また、働いている学校の同僚の大半が同じビジョンを持っていれば、お互いに助け合うことができるし、一層やりやすくなる。また、つまづいたりわからなくなってしまった時に、アイデアを探したり、もう一度読み直してみることのできる何か良い理論的な基盤を持っていると便利でもある。

 私の場合、自分が立ち戻る基盤となっていたのがイエナプランのコンセプトだった。このコンセプトの創始者であるペーター・ペーターセンが書いていることは、すぐにこうすればいいという方法を示してくれるマニュアルでもないし、誰がやってもすぐに美味しい料理が作れるレシピでもない。

 1960年代にペーターセンの仕事をオランダに紹介したスース・フロイデンタールは、こう言っている。「ペーターセンが一体何を養育の目的と考えていたのかを可能な限り正確に理解するために、私は、最大限の注意を払って努力をした」と。その結果、フロイデンタールは、ペーターセンの考えの重要な点を8項目にまとめた。この8つの点が、イエナプランスクールが目指そうとしている養育の目的なのである。それは、イエナプランスクールで働いている人や、これから働きたいと考えている人たちが、常にそこに立ち返りながら努力していく上で、これだけはどうしても守らねばならない最低限の目標である。

その8つの目標とは

(1)インクルーシブな思考に向けた養育

私たちは、そこで起きている全てのことに対してお互いに注意深く関わり合っていくことを子どもたちに教えなければならない(つまり、教師自身が模範的にやってみせること、自らがあるべき態度で生きていることだ)。私たちは、お互いを大切にし、世界を大切にしなければならない。そして、インクルーシブな思考とは、自分自身を大切にすることも含んでいる。

(2)学校の現実の人間化と民主化

ここでもまた、「共に」という言葉が重要だ。それは、お互いと共に働くこと、他者のことを考慮しながらよく話し合って決定を導くことを意味している。「共に」とは、ここでは、学校に関わっている全ての人、すなわち、職員と子どもたちと保護者の三者全てを指している。

(3)学校に関わっている全ての人と対話する準備があること

この、前項に示したような意思決定を行うには、対話という形式を欠かすことができない。対話とは、お互いと共に話をし、お互いに対して耳を傾けることだ。他の人の意見を、本当に心からオープンに受け入れること。自分が「正しい」と思っていても時には自分の意見が議論の対象となったり、修正を求められることに、開かれた気持ちを持って関わることだ。

(4)子ども学的思考と子どもに対する対応の人類学化

学校では全てのことが子どもを中心として動く。子どもが真ん中にいなければならないのだ。私たちは、自分たちがしていること全てについて、こう自分に問い直してみるべきなのだ。「今していることは、子どもにとってどんな意味があるのだろうか? これは、子どもたちにとって良いことなのだろうか」と。

そして、それは、時には、自分が決めていた計画や目標を、子どもたちのために手放して放棄することさえ意味することがある。

(5)学校に関わっている全ての人のホンモノ性

私たちは、学校に関わっている全ての人たちがオープンで誠意ある態度を取ることを望んでいる。「裏取引」はあってはならない。「自分がホンモノである」とは、常に自分らしく行動しているということだ。他者に対するオープンな態度は、自分らしく行動している時にこそ生まれる。オープンな態度を取るというのは、自分自身を、時には、人から傷つけられる可能性のある場にもあえて置くことを意味している。

(6)生と学びの共同体の共同的で自律的秩序に基づく自由

全ての人が自分らしくホンモノの姿で、お互いにオープンに関わり合う環境で働いている時、また、何事も、自分達でお互いに話し合って決定することができているような場では、人はたくさんの自由を持っているはずだ。それは、幾つもの選択肢の中から自分で選ぶことのできる自由でもある。

(7)批判的思考に向けた養育

私たちは、子どもたちが、批判的思考のできる世界市民へと育ってくれることを願っている。こうした世界市民は、より美しく、より良い世界を生み出すために自ら働く準備ができており、そのために、自分自身に対しても他者に対しても常に問いかけ振り返ることができる人だ。果たして、私たちは、物事に対してそのように取り組んでいるだろうか。もしかすると、私たち自身、もっと変わるべきなのではないだろうか?

(8)創造性を養い、その可能性を引き出す

これは、何らかの創造的な方法を使って、自らについてうまく表現でき、また、あえて表現しようと努力することだ。クリエイティビティ(創造性)には、何か複雑で難しい事柄について独創的で建設的な解決法を編み出していくスキルも含まれる。

 読者であるあなたが、教員として、ここにあげた「8つの養育の目的」に自ら同意し、それを自分の教育実践の中で形にしていきたいと考える時、子どもたちもあなた自身も、必ずや幸せになっていくに違いない。そしてその時、教育に素晴らしい形が見つけ出されるはずだ。(続く)

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