最近よく考えることがあります。
「子どもの思いを尊重するってどういうこと?」
「自分の価値観で子どもの思いをないがしろにしていない?」
こんなことがありました。
パソコンのカメラの動画機能で、一時停止ボタンを使えば、特別な動画編集アプリを使わなくても、簡単な動画が作れることに気づいた子どもたち。すぐにその機能を使って動画を1本作ろうという話になりました。既存の動画を自分たちで再現して撮影しようと試みます。
「この動きは、腕を曲げて、足をあげて…。」
「いや、そのせりふ違わない?」
その様子を見て、思わず口に出しそうになったことは、
“先に台本を作ったら?”
“動画を見てせりふを書き起こしたら?”
“役決めは?”です。
私は、どうしても何かを作り上げるときは、土台から…と思ってしまいます。作品を作り上げるまでの工程を1~10まできちんと並べて、その自分流の型に子どもを誘導してしまいます。だって、そうすると“自分が”安心するし、何か起きても予想範囲内なので、対応しやすいのです。
しかし、それは本当に子どもにとって楽しいこと?面白いこと?自分の価値観を押し付けて、子どもに窮屈な思いをさせていない?のびのびとした発想を奪っていない?
子どもたちが今、見様見真似で演じているのであれば、見ているだけでなく一緒に演じてみようと思います。子どもたちが「これからどうしていく?」「~したいけれど、どうすれば良い?」と具体的な問いを出すまで、待ってみようと思います。
学校は毎日違うことが起きてわくわくします。子どもたち同士の話から学び方、遊び方、余暇の過ごし方まで何から何まで違います。日々変化していく子どもたち。自分だけでなく他者や環境の変化に順応していく子どもたち。だからこそ、大人である私も、変化を恐れてはいけない。良い意味で、自分のやり方に慣れてはいけない、そう思うのです。
二人三脚のように、相手と持ちつ持たれつ。そんな風に子どもたちと過ごしていきたいです。(菊池由加莉 おきく)