助産師小島毬奈さんが ウクライナで見たこと、感じたこと、 考えたこと

小島毬奈さん。東京都出身の看護師・助産師。国境なき医師団に登録し、2014年からパキスタン、イラク、レバノン、地中海、南スーダン、カメルーン、バングラデシュなどで医療活動に従事してきた。2022年12月から3か月間は戦地ウクライナへ。日本から空路アブダビ経由でポーランドへ。そこから寝台列車で16時間、目的地ドニプロに到着。
日本を出てかれこれ80時間。ウクライナへの道のりは長くて遠い。

私たちの心配をよそに、日本に戻ってきた毬奈さんはいつもと変わらず明るく元気。お話を伺った。

今回の任務は?
「戦争で増えた性暴力を受けた人々をサポートする任務で赴任しました。婦人科のクリニック開設に関わったり、医療列車に乗ったり、日々要請に合わせて行動しました。身体的に問題がない人でもメンタルが弱くなっている人が多く、そういう場合は心理士と連携します」

活動地域はどこでしたか?
「キーウ、ブチャ、クリヴィー・リフ、クラマトルスク、ヘルソン、スラビャンスクなどに出向きました」

滞在していた時のウクライナの様子は?
「ご飯を食べている時に同僚に電話があり、今週末私が行く予定だった場所もエアーストライク(空襲)で危ないので活動停止とのこと。チームはすぐにでも避難するらしい。予定は白紙に。昨日の朝もアラートが鳴って、地下へ行ってくださいってアナウンスが流れた。本当に地下に行くべきかどうかは事務所から連絡が来るはず…。毎回避難してたらキリがない。仕方がない。とりあえず電気があるうちにシャワー浴びようかなーと思ってたら、ボーン!ボーン! 遠くで爆発みたいな音がした。あ、これは危ないかもと思い地下のシェルターへ避難」

こういう日々の連続だったようです。

「万一の時はオフィスに行くと、ひととおりの電気類は使えるので私たちはラッキーなほうだと思います」「でも毎日夕食後は、湯たんぽ持って暗〜いホテルに戻る。あー、シャワー浴びたいし、なにより、トイレを流したいよぉ…」

と本音がチラリ。

明日もし日本が戦争になったら、どうなる?
「日本は、陸上に国境がない国(境界は海上にある)だから陸路で逃げることはできない。港や空港もミリタリー(軍)が優先される、または閉鎖。一般人は使えなくなるだろう。空襲のサイレンが鳴り地下に避難。ミサイル投下でインフラ施設が破壊されて、停電が続く。スーパーや市場も薄暗くて、発電機の音がそこらじゅうで鳴っている。夜になっても街灯はなく、真っ暗。おそらく、病院の多くもミリタリー優先になる。至るところに国旗がたち、迷彩柄の服を着た人たちがそこかしこを歩いてる。そして、『まさか戦争になるなんて思ってなかった』と人々は言う」

まさに、それが今のウクライナです。

(↓写真キャプションは毬奈さんの言葉)

戦争になると、性暴力が増える。なぜなら人々の精神に恐怖を植え付ける安価な武器だから。特に女性や子どもは格好のターゲット。日本も第二次世界大戦の時にはアメリカ兵に売られた女性がいる宿、妊娠中絶するための秘密の病院があった。性暴力と戦争は切っても切れない。戦争は、むごい。
滞在していたホテルのシェルター。いつでも人を収容できるように、人工芝がひいてあって、イス、ヨギボー、ベッド、コーヒーメーカー、ボードゲーム…などがある。
戦争が始まってから報告こそ少ないけれど、確実に増えているDV(家庭内暴力)に苦しむ人、また、前線の近くの街に住んでる人たちのための移動診療。ということで、今日は医療列車に来ています。ウクライナって、あらゆるところに青と黄色の国旗。
ウクライナに来て3週間、ずっと外食かレトルトだったので、ここで初めてウクライナ家庭料理ボルシチ。
めちゃくちゃ美味しいー。ボルシチはロシア料理ではなく、もとはウクライナ家庭料理らしい!ということで、明日もう1日こちらで仕事して電気のないドニプロに戻ります。やぁだぁぁぁ!家庭料理美味しすぎて戻りたくない。
寒い中ぬるいシャワーは浴びれるけど、ドライヤーしないと寒いし、シャワーは電気復活してからにするか…ってなる。懐中電灯3つつけても、やっぱり天井からの電気には敵わない。
「人生初、防弾チョッキを渡されて試しに着たんだけど、めっちゃ重かった。あと、ヘルメットも。安全第一のプラスチックじゃなく、自衛隊の人が被っているタイプ。で、両方着けたと思ったら携帯落として、しゃがんで拾おうとしたらあまりに重すぎて、尻もちからそのまま後ろに転倒」と笑いながら語る毬奈さん。
高橋利直
ほんの木
代表取締役社長
高橋 利直

 

1959 年生まれ。大学では工学部電子工 学を専攻。1984 年大卒後IHI に入社。火 力発電所の制御設計に携わる。1986 年3 月にIHI を退社。4 月から頭とお金を提供 してくれた創業者柴田さん、体と汗を提 供した私、他1名でほんの木設立の準備が スタート。1986 年6 月に、株式会社ほん の木創業。2003 年より代表取締役。

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