老いについて(3)大村祐子

イラスト/大村豊信

 皆さま、ご機嫌いかがでいらっしゃいますか。 前回、私は「目の前にあるものを感謝していただき、あるがままに生きる」それが「老いて生きること」。それは人生の最後に辿り着く、自然と共に生きる人間の「真の生き方」であり、高齢になったからこそできる「小さな暮らし」そのものであるように思う、と書きました。

 実は「小さな暮らし」を実現するためには、もう一つ大切なことがあると私は考えています。それは「人は、人と共に生きるということを真に識る」ことです。私は50歳を過ぎて初めて、この言葉の真の意味を悟らされた体験をしました。それはサクラメントと北海道を行き来していた頃のこと。冬の休暇を利用して、「ひびきの村」の若き開拓者たちとクリスマスを共に過ごし、サクラメントに戻る時のことでした。雪が降りしきる千歳空港を、成田に向かう飛行機が滑走路をゆっくりと動き出した時でした。ふと窓の外を見ると、私の乗った飛行機に向かって4、5人の作業着姿の方々が両手を振り、深く礼をし、中には帽子をとって頭上で振っている人がいたのです!
 「ええっ!!!」私は心底驚きました! この極寒の中で、自分たちが整備した飛行機が無事に飛び立ち、無事に目的地に着くようにと願ってくださっているのでしょう!
 「ありがとうございます!」胸を突かれ思わず声が出ました。熱い思いが湧き出て、涙に変わりました。小さな窓に手をつけて、私も手を振りました。そして深くふかく頭を垂れ、姿が見えなくなった彼らに向かって手を合わせました。
 降りしきる雪の中で飛行機の点検をし、整備をし、給油をしてくださった方々が、私たちに「私共の飛行機を利用していただき、ありがとうございます。快適な旅を! ご無事を祈っています」という思いを込めて⼀列に並び、手を振ってくださっていたのです。

 彼らのような方々が大勢働いてくださって、初めて私たちの空の旅の安全が保障されているのだ。どうしてこれまで私はこんなに大切なことに気がつかなかったのだろう? あの方々にはご家族がいる、そのご家族が極寒の中で働いている彼らを、家中を温めて待っていてくださるのだろう。
 今大勢の旅行者を乗せて飛び立とうとしているこの飛行機が、一体どれほどの方の力によって造られたのか? 飛行機が造られるプロセスに全く無知な私には想像すらできません。そして飛行機が運行されるために費やされた膨大な労力は? 目に見えるだけでも、機内の清掃、揃えられた備品の数々、機内食、飲み物。にこやかにお世話をしてくださるキャビンアテンダント、飛行機を操縦する機長さんたち。数えきれない多くの方々の働きによって私の旅は可能になっている。そしてその方々にもご家族がいて、彼らを支える友人がいる。
 一機の飛行機であっても、考えが及ばないほど多くの方々の力に負うている。であったら、今私が身につけている物、身の回りにある物、毎日食している物等々、生まれてこの方、私はどれほど多くの方の力に負うて生きてきたのだろう?

 成田空港に着くまで考え続けました。サンフランシスコ行きの長い飛行時間にも考え続けました。そしてサンフランシスコからサクラメント行きの飛行機に乗り換えた頃には、頭の中に様々な色の糸でぐるぐる巻かれている美しい地球が現れました。それは、私が生きるために必要な、知識も体験も含めたすべてのものを与えてくださった方々と繋がれた美しい糸でした。その糸は地球上のいたるところから発し、私の許に届いた糸なのです。そして少ないながらも私の許からも糸は世界中に発せられていました。
 こうして私は世界中の見知らぬ人のお世話になっている、彼らの労働によって生かされている、その中の一人でも欠けることがあったら今の私は存在しないのだ。いえ、私だけではなく、世界中の誰もが存在し得ないのだ。私たち地球上に生きるすべての人が、それぞれの存在と働きにおいて繋がっているのだ。支え合い、助け合い、分かち合い、共に生きているのだ……。
 爾来その思いは私の身体と心と精神に深くふかく染み込み、コーヒーを飲むときには、コーヒー豆を摘む赤ん坊を背負ったブラジルの母親の姿を、ニシンが食卓に載った時は、荒波の中で漁をする漁師さんたちを思い浮かべ、「感謝いたします」と呟くようになりました。誠にありがたいことです。
 私たちの生命は男女の営みによって生まれます。私たちは人と人とが交わり、その結果ここに存在しています。人は生命が母親の胎内に宿る時から一人ではなく、二人の力を必要としている。つまり、私たちは一人ではなく、人と共に生きてゆく宿命を担っているということなのです。

 私たち高齢者は老いて弱り、他者の力を必要とすることが多々あります。その時大切なことは、助けられることに決して卑屈にならず、「誰もが世界中の人の力によって生かされているのだ」という感謝の思いと、「私もまた、これまで世界中の人の力になって生きてきたのだ」という誇りを持って堂々と助けられること。その二つの思いが「人は、人と共に生きるということを真に識る」ことだと私は考えるのです。そうしてこそ私たちは自分でできることは自分でし、できないことは助けていただく「小さな暮らし」を受け入れ、「小さな暮らし」を愛し、感謝し、楽しむことができ、豊かな「小さな暮らし」が実現することでしょう。

 前回、すでに「小さな暮らし」を実現している方々をご紹介します、と書きましたが、ごめんなさい。次号に書かせていただきます。
 柔らかな秋の陽射しと、どこまでも深い秋の空をお楽しみくださいませ。ありがとうございました。(続く)

大村祐子(おおむらゆうこ)
1945 年生まれ。 アメリカ、サクラメントのルドルフ・シュタイナー・カレッジにてシュタイナー学校教員養成を学ぶ。その後、現地のシュタイナー学校で教える。1998 年帰国し、北海道伊達市で人智学共同体「ひびきの村」を立ち上げ主宰。2011年「ひびきの村」から退いて神奈川に移り、執筆、講演、ワークショップ、講座などを続ける。現在、一般社団法人「コネクト・ビレッジ」を立ち上げ、人智学を基に運営される「小さな暮らし・ハウス」のスタートを目指す。著書多数。